理想を持てば生きづらい。

今日も明日もいいかげん。

産女の幽霊


15日、コロナ制限も無く数年ぶりの通常通りの「精霊流し」。

あの爆竹シャワーを思い出し、次は中国盆…夏の終わりが見えはじめる。


お寺が横一列にズラ〜ッと並ぶ寺町通り。

その一番端っこに「光源寺」はある。


精霊流しが終わった翌日、この寺で「産女の幽霊」のご開帳が行われます。


光源寺前の糀屋町に一軒の飴屋がありました。

夜も更けて店主が店を閉めようとしたその時、青白い顔をした女性が現れ…


「ごめんやす、この一文で飴を売ってくれはりますか」


店主は気味の悪かねぇ…と思いつつも飴を一個売ってあげました。


ところが次の夜もその次の夜も女の人は飴を買いに来たのです。

それから…七日目の夜のことです。


「すんまへん、今夜はお金がなくなってしもうたさかい、飴を一つ恵んでくれはりませんか」


不思議に思った店主は飴を恵んで、女の人の後をそっとつけてゆきました。


すると女の人は光源寺本堂裏のお墓の前でふっと消えたのです。


「わっ、こ、ここはお墓やなかね!」

飴屋の店主はあわてて逃げ帰りました。



翌朝、光源寺の住職に立ち会ってもらい、お墓を掘り返してみると、あの女の人が生まれて間もない元気そうな赤ちゃんを抱いているではありませんか。


女の人は、お墓に入れてもらった六文銭を一文ずつ使い、赤ん坊に飴を買って食べさせていたのです。


この不思議に住職さんもいろいろと調べてみると、藤原清永という若い宮大工が父親であるとわかりました。


清永は京都で修行中に恋仲に成った女の人が居たのですが…


長崎に戻ると親の決めた別の女の人と結婚したのです。


命がけで京都から長崎までやって来た女の人は、行くあてもなく、悲しみのあまりに死んでしまったのでした。


清永は悪いことをしてしまったと嘆き、赤ん坊を引き取り育てることにしました。


数日後、飴屋にまたあの女の人がやってきました。


「おかげさんで我が子を助けてもらえたさかい、何ぞお礼をさしてもらえへんやろか」

と言います。


飴屋の店主は「この辺りは水が無かけん困っとります」と言うと女の人は「明日の朝、この櫛が落ちている所を掘ってみておくれやす。」

そう言って姿を消しました。


翌朝、近くにその櫛が落ちており、早速掘ってみると冷たい水がこんこんと湧き出して来ました。

そしてこの水は枯れることなく、人々の喉を潤し続けたということです。



御住職がいろんなお話しをしてくれるらしいし、紙芝居なんかもあるみたいです。

16日の一夜限りですが、機会があったら涼しくなったりホッコリしたりの真夏の夜はいかがでしょうか。

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