理想を持てば生きづらい。

今日も明日もいいかげん。

🌲高崎のねじれ松


高崎の「ねじれ松」の話ではあるが、松の木の話ではなく人の話である。




高崎では今日14日「どんど焼き」が行われた…


らしい…


昔は近所の畑を使って行われていたんだが、近年そこも建売り分譲住宅へと様変わりし、何処かへと移動し開催されているらしい。



この高崎に「松次」と言う男がおったそうな。


松次は町の役員でたいそう権力も持っていたそうで、自分の都合に合うように町の規律も変えていたそうです。


しかし、マメな男で「どんど焼き」では率先して準備を始め、まだ暗い早朝から太鼓叩いて開催の口上を唄いながら町内を練り歩いていた。


「道祖神がぁ燃えますよ〜

 ハァ〜や夜があけますよ〜

 さんざ寝んね……」



唄うこの口上が誠に汚い言葉でして…



「こきゃーがって!!」ってお下品な🙀


松次はこのフレーズが特にお気に入りとみえて、ここだけは誰よりも声を張り上げていた。


どんど焼きの早朝には遠くで太鼓の音が聞こえて来ると…

「道祖神が来るよ」

「どんど焼きが来るよ」

とか言われていたのだが、いつの頃からか


「松次が来るよ」

「松が来るよ」


と誰もが言うようになってしまっていた。


ところがある年の「どんど焼き」の早朝

「松」が来なかったのだ…。


もしかして松自身の身に何かが起きたのか…

町内中がこの話題でざわめいた。


真相解明は…息子の高校受験勉強が始まったらしく深夜まで勉強し、明け方に眠りにつくため、その妨げにならないよう中止にしたらしい。


そして翌受験の年にも勿論「道祖神が燃えますよ〜」の唄も太鼓も聞こえる事は無かった。


不思議なのは昔からの恒例だった早朝の太鼓が、この年を境に途絶えてしまったのだ。


たぶん…開催場所の確保とか安全性とか近辺の苦情とかの問題と、偶然にも重なったのではないかと推測している。


この「どんど焼き」が毎年近づいて来ると、近所の人との挨拶がわりに…


「最近松次さん来ませんねぇ」…と言うと


「あ?あぁ〜  ねじれ松ね」とほとんどの人が応える。



ご推測通り、この話は昔ばなしではなく今の我が町の話であります。


やはり町民からは、その性格上「ねじれ松」と呼ばれていたんですね。


出来るだけ近くに寄りたくはないし、お友達にもなりたくない人ですね。


文春チャウ新春早々「こじれ松」も嫌だけど「ねじれ松」もご勘弁ですね。

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