
キャンパスに来たての頃は皆んな孤独である。
しかし求め合う気持ちは共鳴し合い、お約束のありきたりシチュエーションを経て集い始める。
キャンパス内では天涯孤独な僕の近くに必ず彼が居た。
授業の時も、図書室にも、学食でも、気がつけば彼が居た。
乗り換え駅でも最寄り駅でも駅前のパチンコ屋にも彼が居た。
「やぁよく会うね」軽い挨拶〜会話〜一緒に過ごす時間〜連絡先交換〜友達完成。
時代は四畳半フォーク真っ盛り。
僕の髪が肩まで伸びて〜♪ いたが迎えに行く彼女はまだまだ居るはずもなかった。

彼の髪は手入れも行き届かず、床屋代が無いから長髪にせざるを得ない…それが正解!と思わせる風貌だった。 一言で言えば「汚な」。
しかし時代が彼を救った、彼と同品種が をちこちに実っていた。よって正々堂々と生きて行けた。
僕は彼を「ベン」と呼んでいた…心の中で。
そう ベートーヴェンの「ヴェン」である。
他人の事は言えた義理では無いが僕と同じ田舎者の彼が小洒落た「ヴェン」が似合うはずもなく、ベベンベンのベンのニュアンスでそう名付けた。
ど田舎から都会に出て来た典型的な「おのぼりさん」。同じルーツを持つ二人は週末ともなれば「東京を知ろう」をテーマに東京観光に勤しんだ。
手の届く距離にあの原宿があり、銀座があり、皇居も国会議事堂まであるんだから。
一年間社会に出て働き、なんとか入学出来た共通のプロセスが絆を深めた19才の僕等の東京一歩目は「日本橋」。
「やっぱりここからスタートだよね!」と分かるような分からない様な根拠をかざし山手線の中でタバコ吸いながらはしゃいでいた。

当時は日本橋の上は空だった。
たかが橋なんだが、擬宝珠の獅子像や徳川最後の将軍「慶喜」さんの直筆橋名板を見て、教科書ではないライブ感に東京を実感していました。
当時、Googleマップがあるわけでもなくスイスイと観光を続けるわけにはいかない。田舎者は周辺をあてもなく徘徊するしかないのだが、思い出せばそれもワクワクが止まらなかった気がする。

目の前に突然現れた神社「水天宮」
神社での参拝作法を確かめ合ったり、前の人の所作を真剣に見つめたり….そして無事参拝終えた。
ベンの異常に長い祈りが気になり聞いてみた。
将来、子どもをたくさん作って家族で野球チームを作れますように…と。
後日談ではあるが、この時点では水天宮が何のご利益がある神社なのかは二人とも分かってはいなくて、何年も経ってから「安産子宝」祈願の神社だと知り、ベンの願いはなんと的を射ていたんだなと驚いた。
しかし、いくらなんでも野球チームはやり過ぎだろ、バスケとかバレーとかでいいんじゃね?それでも十分多いけどね。
でもさぁ…そんなに子供って作れるものなんかねぇ… 当時ウブだった僕はベンに聞いてみた。
ベンは笑って自信満々にこう答えた…
「大丈夫 大丈夫 俺は小学生の頃から高校卒業までず〜っとずっと先生から お前はやれば出来る子だって励まされて来たから!」
シモネタカヨッ!💢
友達話し まだまだ続きます🙇♂️
[君の微笑み/浜田省吾]1977年 cover by Otan402


